「ACACのダンス」
創造するなら森の一部を分けてあげる、と精霊に許されたかのよう。 ぽっかりひらいたところにACACが息をしている。すでに厳粛で誰でも入っていいように思えない。 専門的な人が専門を研ぐために入るに相応しい威厳と洗練の敷居が高く感じられる。が、入ってみるとそんなことじゃない。
ダンスのワークショップでは体を多少動かせるスペースがあれば足りるのに、一番広い空間を準備された。 そして「lonely woman」をやろうというのだから豪快だ。「lonely woman」は移動しないで、 立った位置だけでダンスを創るプログラムである。スペースは使わない。
ダンスはすいすい移動することで自由奔放さを表す。「lonely woman」は通常のダンスに異議を唱える。 ダンスらしい形や速度だけをダンスと呼ぶのではなく、動かなくてもダンス、回転しなくても足を上げなくてもいい。 柔軟でない人も、やったことない人も体はダンスする。それがまた極上で、これこそダンスと呼ばなくてはダンスに申し訳ない。 ダンスとはなんなのか、ダンサーとは誰のことなのか思考形式をひっくり返してくれる。こういう冒険の企画をACACが発している。
ACACのダンスワークショップに参加してくださった人達は、恥ずかしがりやのようでいてダンスが始まると割れて奥深い火を帯びている。 何人いても似ている人がいないことに驚かされる。強い個性の発露を雪深い暮らしの中に潜めて生活している厚みを想像する。 暮らしから真っ白い道中をACACへ向かう中、なにを決断して車を運転しているのか。なにを実感して帰路に向かうのか。 世界が真っ白でどこから幻でどこから現実か境界線の巾が広い。吠えて膨らみ四角くなって横臥し割る、そんなふうにして ダンスが立つ唯一をみんなで毎日提示しては交代で目撃した。
その贅沢がずっと後に響いていることを最近知る。青森から離れた地のダンス現場でACACでの「lonely woman」仲間何人かに バッタリ会って驚く。なんでこんなところにいるの、とこちらが聞いてしまう。「lonely woman」をやってからダンスにもっと近づきたくて、 と、そんな大それたことをみんな言う。ワークショップというものがその後の人生を決めるほどの影響力があることを知る。 バカげたことをもっときっちりやっていかなくては、とわたしはあらためて勇む。ACACではどこよりも最多数「lonely woman」を行った。 白い青森から勇姿が今もダンスに挑む。こうして循環して継がれ、ダンスも森になれたら。これは気高い一歩を植える仕事と解り歓びで溶けそうになる。
※「lonely woman」 伝説のダンス・プロジェクト「偶然の果実」の中で生み出され、第1回バニョレ振付けコンクールにおいて、 日本国内最優秀賞を受賞、バニョレでのダンス・フェスティバルに日本代表として参加のため渡仏するも、 その即興性の強さのためにフェスティバルの主催者から上演を拒否されたという伝説を持つ演目です。
この演目は、3人ずつ数組のダンサーが交代で舞台に上がり、横1列に並び30分間のダンスを行います。
ただし、“立ったその場を動いてはならない”という制約をあえてダンサーに課しています。 30分の時間はヒト時計の登場によって知らされ、時間を知らされたダンサーは次のダンサーに交代します。
過去18回の上演が行われ、その中でこの演目に参加したのはダンサーだけでなく、音楽家、美術家、詩人など多分野に及び、 ダンス経験のない人たちも、それぞれの方法でダンスをつくりあげました。
(AC×2 Vol.14 国際芸術センター青森 レポート2012)