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「半畳の行方」

「半畳の行方」 

この解り易さはいい。解り易いものには警戒するのだがこの企画ではこの解り易さが 必要だ。相手が畳の所為か舞台には和モノ要素が先に漂うもののこの枠の設定は考え ようによっては私が長年こだわるミニマルアートに成り得る。余談だが畳半畳そのも のは狭さより貧乏臭さが表れる事が意外だったし、ジャパニーズ個性が良くも悪くも 過剰に付随する<畳>の威力に驚いた。しかしそのような表象が先行する中を<挑戦 者>が現れる。<挑戦者>が半畳との融合を慎重に試みる様は綱渡りを見ているよう でもある。そしてあらぬ事かストリップか見世物に立会う『覗き』の背徳も感じる。 密室の覗きに観客は正視していいものか、これはアートなのかショーなのか、立脚点 が揺れて観客各自の道徳が彷徨う。どきどきする必要などないのにどきどきする。こ の場に立会ってしまった消せない事実と同時に、床から数センチだけ高い狭い枠の中 に自分も入ってみたらどうなるのか。入りたいイヤだイヤだ、でも入ってみたい衝動 を押さえるのにまたどきどきする。挑戦者だけでなく畳半畳には観客にも誘惑の罠が 蒔かれている。

挑戦者はどうか。これは単純な仕掛けだけに単なるカラオケ大会になるのは簡単だ。 ショーになって悪いことは決してないがショーにするなら100万$のショーに誤解 させて欲しい。ではアートぶってストイックであればいいのか。これも空気悪い。半 畳の枠に乗っていれば良いわけでもなくだからといって枠から降りて良いわけもない。 決して軽視せずにまずは悶絶格闘から始める潔い不様を尊敬する。

単にカラオケ大会のようにならない為に企画者こそ用心してかからなくてはならない。 宣言しますがこの企画は活気的だ。今後も継続しつつ骨太の成長を期待する数少ない 企画である事を企画者は強く自覚して欲しい。こんなにしつこく言うのも今後の日本 のダンスを左右する企画に成り得るからである。私は92年から「lonely woman」で ‘その場を動いてはならない’というルールの作業を今だに続けている。そして ‘こだわり’に助走しながら慎重且つ軽やかに接近した先人の貴重な作業をここに記しておきたい。「フレームワーク」84年/デビッド・ゴードン。そして「ピチカート」 大正5年/伊藤道郎。場への‘こだわり’を朗々と踊っている先人達の偉業が既に成さ れている中、私達が問うべき課題がこの「畳半畳」に見え隠れ匂う。無視できない。応援してる。

(2008年2月記/「畳半畳10」記念パンフレット)

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