ダンサー・振付家 黒沢美香の公式ウェブサイト

Mika & Dancers

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わたしたちはそれぞれの道程の中でダンスに出会いました。それはいつのまにかどうしても必要なものになっていました。日々のルーティンから離れて耳を澄ます作業は、繊細な綱渡りをしながら野生に戻る作業。時々行く手に霧が立ちこめても、突然招待されるダンスの扉を開けば、また嬉々としてさらなる深い旅を目指す懲りない性分の連中です。

 1985年立ち上げ。主にstudio 200で<四人娘>が活躍したことがグループ活動のきっかけとなる。
 以後90年~02年は即興を軸としたシリーズ公演「偶然の果実」を44回継続。
 ここに於いては誰それをダンサーズと指すのではなく踊る身体を<ダンサーズ>と呼ぶ。
 従って一人でも大勢でもダンサーズであった。
 現在ダンサーズと呼ばれている野獣牧歌集団彼らはその年齢差が40才も離れているだけに
 判断も速度もバラバラの不協和音群舞が魅力。
 主な作品・シリーズは「ミニマルダンス計画」「ダンス☆ショー」「jazzz-dance (ジャズズ-ダンス)」
「接吻」など。

黒沢美香&ダンサーズイメージ

黒沢美香&ダンサーズイメージ黒沢美香&ダンサーズイメージ


Photo: Motoko Kamata


 

text by 黒沢美香

■ダンサーズという呼び名
80年代当時〈○○○&dancers〉という呼び方はアメリカに多くあり日本の舞踊界でも私だけでなくダンサーズという呼び名は幾つもあったと記憶しています。考えてみるとペンソルズやブックスと同じようにダンサーズと呼んでいいものかはばかる。ズに凄みがある。時に私は踊り子さんとも呼びますがどちらにしても年齢体格性格環境考え方動き方あらゆる事が異なる人間を一派一紮げにしている呼び方です。異なる人達が集まるまではいいにしてもその人達はなぜ踊るのか。いや反対であった。踊る為になぜ異なる人達が集まるのか。冒険家である。ダンサーズにしても踊り子さんにしてもその言葉になにかモノ悲しさと秘密を思わせるのは昔昔の名残りを私がこの呼び名に感じているからかもしれない。 時代状況変わっても踊り続けていくことは苦難の多いものです。なのに踊ってしまうおおらかさ逞しさ無頓着な明るさ太っ腹をこの呼び名に感じます。大雑把でセンスない呼び名が自慢。このままいきましょう。

■80年代四人娘のダンサーズ
yoninmusumeダンサーズといえば四人娘が始まりか四人娘がいたからダンサーズとなったのかスタートが定かでない。四人とは現在も津々浦々で活躍する吉福敦子、クリタチカコ、平松み紀、砂山典子である。当時私は創ることが大好きで自分が踊るより人の身体の妙に振付けという作業で対面することに燃えた。ここに出口大介が加わわることにより言葉を意識した。些細な小さな一つの動きにも名前を付けた。些細も名を持つと意志をもつ。名も無いものにふり絞って言葉を当て嵌める。言葉や名前で指せないものばかりがダンスの心臓、力なのだから言語を持つことで作業が膨らむ根を張る加速する。四人娘は動きにも組み   合わせにも速度にも言葉にも果敢に探しては教えてくれた。今も私が在るならば四人娘と出口大介が残してくれた共同の作業の賜と言って過言ではない。疑ったり反発しながらもダンス三昧の期間(85年~92年)を共に持てたのは信じるダンスに向かうべき正義感が一つにはあった。四人娘が注目されたのはstudio 200で継続した「eve」シリーズであろう。四人娘はクールで猥雑大胆な踊りに反して容姿がキュートであった。アタマに黒沢美香と看板を付けた公演であってもクロサワを見るより四人娘の踊り見たさに集まる人が多かった。クロサワは前記したように踊るより創ることに燃えていた。ヒッチコックや松本清張が映画の1シーンにこっそり登場するように踊りの1シーンに僭越ながらこっそり登場するだけのことが多かった。やっと登場しても踊りらしい踊りを踊るでもなく椅子やテーブルを組み立て卵焼きを切って(それをダンスと呼びたかった)いたのだから作品の主な時間を力技で推し転がしているのは実に四人娘であった。後にdumb typeとの共同作業「The Nutcracker」で四人娘の魅力は更に多くの人達に知られるきっかけとなる。

■90年代独りのダンサーズ
そんな信頼阿吽の絆となっても、だからこそなのだが四人娘と別れる。祝福すべき事件である。互いに拡散個人の活動無くして本来のダンス活動無し。更に太く強くなって真の再会の為に別れたと美し過ぎて照れるが本当だから言う。さてここからは誰がダンサーズなのか解らなくなったところでダンサーズを検討する契機となる。出口大介と共に推し図った90年代「偶然の果実」(後に02年第44回まで開催継続《グーカジと呼ばれていた》)の時代である。ダンサーズとは誰、と人を指したのではなくダンスする身体を指した。身体だけでなく机や物もダンサーと指す。ではダンスとはなにか。それを問い続けたのがグーカジであった。グーカジではもともと根っからのダンサーが参加するだけでなく音楽家、詩人、美術家と異なる畑の人達もダンサーとして同じように立った。実際グーカジに参加した人は100人を優に越え200人に少し足らない。例え了解得ていなくとも前記したようにダンサーズはダンスする身体なのだからみんなダンサーズである。クロサワもまた当然ダンサーズなのである。独りでもダンサーズとはシャレも本気もある。活動する強き独りあっての融合がグーカジの混沌と爆発であった。麗しい優柔不断に或いは意志をもって誰をなにをダンサーズと括るか軽やかに対称は変わる。ここではダンサーズとはチーム名でもメンバーでもない。

■「なんだこのをんな達は」のダンサーズ
現在巷でダンサーズと思われてるのは下手だけどなんだか凄いあの踊る野獣たちのことを指しているのは解ってる。キュートでシャープお洒落だった四人娘と違って暑苦しさにむせぶ。ダンスする身体なのだから確かにアイツらはダンサーズだがダンサーズという団体ではないのは前記した。しかし話しを解り易くする為にここでは彼女彼らを敢えて現ダンサーズと括っておくことにする。なにが凄いか。揃わない群舞が凄い。不協和音が延々続く。驚くべきはその年齢差で語れる。若年から年長までの年の差がなんと40才である。同じ踊りを共に踊るのは考えれば容易ではない。クロサワとの付き合いも20年以上と長い人もいれば数カ月の人も一緒に踊る。クロサワより年上の三人のお姉様方(ひろこさま、吉川恵子、吉田法子)をクロサワは尊敬する。共に踊りながら一緒に年を取ったからこそ年齢を所為に緩まないで欲しいクロサワ個人の夢と希望を託す。魅力の不協和音の源はこのお姉様方に因るところが大きい。現ダンサーズは90年代後半から小品を踊ってきた。お遊戯のような簡単な踊りを野太く恐ろしく踊る方法を選んで探してきた。四人娘時代の80年代からの小品と足し合わせると結構な量に積もり溜まってきたそれら小品を「ダンス☆ショー」という形で括ることで現ダンサーズが突如登場したかのように思われてるかもしれない。しかし彼女らはコツコツとしぶとく長く踊っていた。派手に活躍する四人娘が居た時代から四人娘と一緒に稽古していた。お互いに互いのダンスをどう思っていたのだろう。現ダンサーズのバラバラ踊りはキャプテン椎名利恵子と部長須加めぐみが先頭に立ってくれて更に丁寧にバラバラ色にしてくれる。多才木檜朱実がボケ役装いながらペンとナグリ(踊る大工)をもって全員の意向を発火装置にゆっくり束ねる。この三人が縁の下の力持ちとなって現ダンサーズの野獣踊りを稽古場から舞台に運び支える。統率し過ぎては不協和音が消えるのだから野放しのようでいてその調律加減は(次号へ続く)

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