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「身体で表現することについて」

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「身体で表現することについて」

 身体で表現する、といえばまずはダンスが思い浮かぶのだろうか。ダンスとはなんだ。ダンスと指すものは人によって異なる。私にとってのダンスは幅が広い。絵描きが絵を描く身体がダンスとなる時がある。音楽家が楽器を奏でる身体がダンスとなる時がある。同じようにカメラマンが撮っている姿、歌手が歌っている姿、もの書きが文章を綴っている姿。伝達しようとして身体が吃る。更に言うとそのような私の指すダンスとは電車の中や路上を歩く人にも見ることがある。動物もダンスする。植物も物も本も。ダンサーが動けばそれがダンスとなるわけではない。ダンサーは場に毎度必ずダンスを提示できるとは限らない。日常から逸脱した特殊な速度に乗らなければダンスは来ない。ダンスは来るものであってダンスを踊るわけではない。
ダンサーはダンスの到来が約束されたものではなく危ういものと知っている。今日はダンスが来てくれるか来ないのか解らない。来なければ淋しい痩せた身体が空を切る。来たら王様になる。ダンスは待っていても来ない。だからといって追いかけると逃げてしまう。踊ることを忘れるとダンスが来る。ダンスが難しいのではなく忘れることが難しい。人間なので記憶して覚えてしまう。脳が邪魔だ。脳は固い蓋となって身体をダンスから遠ざける。しかし蓋はあるべきだ。デカイ蓋がいい。蓋があって醗酵し爆発する。踊る時にその蓋さえ取れれば。
私はなにかを表現しようとしているのか。そうではない。ダンスが逃げるので掴まえて浴びたいのだ。こうやったら来るのかああやったら来るのか面白がって格闘している。こうやってもああやっても来たり来なかったりでダンスと逢う約束は今だ取れていない。私を踊らせたいのではなくて身体を踊らせる。
このタイトル「身体で表現することについて」はなんとも漠然とした輪郭の取り難いタイトルで何処へ向かって歩いたらいいのか食指燃えず右往左往した。そうかなんだタイトルのままだ。身体で表現したいのだ。黒沢美香が邪魔だ。記憶が邪魔だ。身体が主役になりたいのだ。肉体、肉袋になる憧憬見つめる。これを運命とした。 黒沢美香

(2005年「恋よりどきどき:コンテンポラリーダンスの感覚」東京都写真美術館展覧会カタログより転載) 

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